
私(40代)も母(70代)も九州の長崎生まれです。私が名古屋に住み始めたのは8年前になります。4年前に父が亡くなったのと同時に母は認知症になってしまい、こちらに呼んで施設に入所してもらっています。あっという間に要介護3になってしまいました。
母は楽しいことが好きなので、週に1度は一緒に外出して、喫茶店やカフェ、たこ焼き(母の好物)屋さんなどを回っています。
…と書くと、私は母の余生を協力的に過ごしている娘のように聞こえるかもしれませんが、まぁ、その週1回の面会がとても苦痛でした。
縁もゆかりもない名古屋の土地で、知らない人たちと共同生活をさせられてる母には、もちろん長崎に帰りたい気持ちがたくさん!
会うたびに、怒りや不満をぶつけられ、会った後は、伝わってきたネガティブな気持ちを元に戻すのに時間とエネルギーがかかる、そんな辛い日々を重ねていました。
なんで私は正義感を出して母を引き取ってしまったんだろう。
そんな自分に怒りしかありませんでした。
そんな中、ひょんなことから、私は私のことをとても価値がないと思っていること、役に立たないと嫌われる人間なんだと強い信念をもって思い込んでいて、自分に「もっと頑張れ」「まだ足りない、そんなんじゃだめだ」と日々多くのことを求めていることに気が付きました。
もちろん両親からも厳しく育てられたと思っていました。父からは男の子のような期待をかけられ、母からは母自身の学歴コンプレックスを押し付けられ、家から逃げるように他県の大学へ進学しました。
なので、両親のことは大事に思っていましたが、不満ばかりありました。
もちろん、感謝はありました。大事に思わないといけない、感謝しないといけないと思っていました。
母を引き取ったのも、私がやらなきゃいけないと思っていたんです。
そうしないと娘として親から愛される存在ではないと思っていたんだと思います。
そして、ようやく、母に会う辛い日々は自分が創ったものだったんだと気がづきました。
毎日自分のことを大事にするようにしました。
自分の気持ちをまず、見てあげる。
本当にそれはやりたいの?私の本当の気持ちはなんなの?
嫌なら、ちゃんと嫌だと伝えて話し合おう。
そうしていくうちに、自分がどれだけ強く自分のことを価値がないと思い、存在する意味がないと思っていたかに気づかされました。
自分で自分を大切にできないので、周りの人に大切にしてもらおうとするところにエネルギーがいく。
周りがどれだけ自分を愛してくれているか、大切に思ってくれているか計ろうとするので問題が起こるんです。
それは周りと自分を比べて争ったり、実は周りを小馬鹿にしていたり、そういうことにもつながっていました。
私の苦しみのほとんどは、自分を大切にできないところが原因でした。
もう二度と、私は私を痛めつけない。自分にムチを打って誰かに大切にしてもらおうと思わない。
二度と、私は私を裏切らない。そう決意しました。
両親からも厳しくされていたこともあったけど、そこばかりを見つめてきただけで、愛情をたくさん向けられてきたかも。
だいたい私が今こうやって大人として過ごせているということは、実はやってもらったことばかりなんじゃないかと、
それを紙にたくさん書いてみました。
まずは父親が私にしてくれたこと。
書いてみると、それはそれはたくさんあって。
私は愛情をたくさんもらっていたことをありありと実感しました。
そして、それを感じないまま父親とお別れしてしまったこと。
とても後悔をして涙が止まりませんでした。
父親がこんなにあるんだから、もっと近くにいた母はもっと山ほどある。
それは書かなくても明白でした。
「母に会いに行きたいな」と思いました。
それは、私が18才で家を出て、初めて思ったことでした。
母に長い生きしてねと言いたい。
それも、初めて思ったことでした。
母と会って、車に乗せて、シートベルトを締めてあげながら、「お母さん長生きしてね」と伝えてみました。
「長生きできるやろかー!」
嬉しそうな声でした。
その声に、それは母がずっと誰かに言って欲しかった言葉だったんだと感じました。
母をこっちに呼んで良かったなと思いました。
これも初めて思ったことでした。
私が自分を大事に始めたことでもう一つ面白いことが起こりました。
長くなりましたので、また次回に書こうと思います。

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