
岐阜の位山に登ってきました。
1529mの山なので、山頂までなかなかのもの!
腸腰筋が悲鳴を上げて、翌日は足が上がりませんでした。
最高の登山日和だったようで、一緒に連れていってくれた方が、
「降りるまでこんなに全ての山が見晴らせるのはめったにないんだよ」
と教えてくれました。
山の神さまに歓迎してもらえたようです。
位山に行きたくなった理由は「地球のへそ」だと聞いたから。
どういう意味か分からないけど、
地球を生んだお母さんとつながっているところじゃないの!と勝手~に解釈して、
ワンダーベビーセラピストを名乗っている身として、ここは外せない!と勝手~に使命感をもって登りました(笑)
登ってみると、空気?気?がとっても澄んだ場所で、
空間に余計な濁りが一切ない気持ちの良さがありました。
身体は悲鳴をあげているけど、
なぜかパワーはみなぎり足は出る。
霊山ってすごいなあ。
一部の心理畑の人間は「象徴」という言葉が大好きでして。
私は自分のとった行動がどんな象徴として、無意識の動きをみせてくれているのかをすぐに考えてしまいます。
職業病ですね。
多くの方は見えている現実が全てで、そこに取り組むことで現実を変えようとしますが、
実は、見えているものは、現象として現れているだけであって、
その入り口は無意識の領域にあります。
無意識の中に動いているものがたくさんあって
その中の一部を現実化するために
私たちは無意識的に行動を選択し、
結果として見えている現実を残しています。
現実で困ったことが起こったなら
その入り口を作っている無意識では何が動いているのだろう
それを見ていくことが現実を変えていきます。
さて、話を戻しまして。
私はなんで位山に魅かれたのだろうと考えました。
調べてみると、位山は、
飛騨北部と南部の境界、そして宮川(日本海側)と飛騨川(太平洋側)の分水領となっていました。
位山の尾根が分水領となっており、
私がその岐路を歩いていたことになります。
「位」という字は
わたしにとっては、「位置」という意味が大きく
夫婦の中の自分
家族の中の自分
心理士としての自分
誰かを支える側の自分
そういう「役割の中の自分」から、
「私は私の人生のどこに立つのか」を大事にしている、
という今の状況を象徴しているように感じました。
分水領。
連想すると、「これまでの人生の流れと、これからの人生の流れが分かれている」というイメージ。
そういう場所に魅かれ、登ることを決めた私は
これから大きく人生が変わっていくのかなと思いました。
そして、下山して次の日から興味深いことが起こりました。
翌日には、パソコンの接続が悪くなり、文字入力ができなくなりました。
翌々日には、洗濯機のモーターが故障し、脱水ができなくなりました。
この2つも考えてみると、とても象徴的な出来事なんです。
説明は割愛させてもらいますが、
私自身がアップデートしていく動きがあるようです。
見える世界と見えない世界の繋がりを感じながら生きる事は
人生をより豊かにしてくれます。
悩み事解決のお手伝いはもちろんしますが、
日々の出来事を相談室にお話しに来られてください。
色どりある人生にするために相談室を利用するのは、
実は、AI社会を生きるための賢いやり方だと思っています。

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